映画・演劇情報

2000年/日本映画/1時間52分
監督 神山征二郎、出演 緒方直人、岩崎ひろみ、古田新太、永島敏行、林隆三、加藤剛ほか

18世紀の半ばに美濃の郡上(ぐじょう)藩の農民が、年貢の取り立てのやり方の改訂による実質的な増税に反対して5年近い闘争の末、支配する藩主(金森氏)の更迭と関係する幕府高官の処罰を勝ち取るという歴史を描いたもの。
農民一揆を描いているので、いわゆる群衆劇てきな場面(エキストラのべ3500人)が多く出てきて、迫力ある作品に仕上がっている。江戸時代を否定することで出発した明治以降の江戸時代暗黒史観とはちがい、踏みつけられるだけでない農民の姿が描かれていて、日本にも「公」の伝統が民のなかに存在していたことを感じさせる映画で、感動した。
映画化には、資金やエキストラ出演をはじめ地元の全面的なバックアップがあって実現されたとのこと。
農民側も首謀者14人は死罪(うち3人は地元でさらし首)になり、郡上踊りという毎夏三晩にわたって踊られる地元の「盆踊り」は彼らを偲んだものだそうだ。
2000/イギリス映画/1時間51
監督 スティーヴン・ダルドリー(Stephen Daldry1960年生まれ)、主演 ジェミー・ビル(ビリー)(Jamie Bell as Billy Elliot1986年生まれ)
イギリスの北部の炭鉱町ダーレムDurhamが舞台。1984年、サッチャー政権下の炭坑ストライキが背景。みなイギリスの北部訛で話す。労働者階級と中産階級、上流階級が目に見える形で分かれている。
母を失った11歳の少年がバレーの才能に目覚めて、ロンドンのロイヤル・バレー学校に入るという物語。このプロットは無理がなく、イギリスでの社会上昇がうまく描けて明るい物語になっている。
ストに参加する兄。妻を失って意気消沈している父。半分痴呆になりかけてときどき現実に戻る祖母。少年に会って意欲を取り戻すバレー教師。ホモであること意識する少年の同級生というように、周囲の描き方もていねいでよい。
最後に舞台は14年後に飛び、25歳の主人公の晴れの舞台で終わる。
傑作だ。
  • スターリングラード
2001/アメリカ・ドイツ・イギリス・アイルランド合作/2時間12
監督 ジャン=ジャック・アノー(Jean-Jacques Annaud1943年生まれ) 出演 ジュード・ロウ(ヴァシリー・ザイツェフ)(Jude Law as Vassili)、ジョセフ・ファンズ(ダニーロフ)(Joseph Fiennes as Danilov)、レイチェル・ワイズ(ターニャ)(Rachel Weisz as Tania)、エド・ハリス(ケーニッヒ)(Ed Harris as Konig
第二次大戦中の独ソ戦の転換点であるスターリングラードをめぐる半年にわたる攻防戦を描いた作品。その伝説的英雄であるソ連赤軍の狙撃兵のヴァシリー・ザイツェフを主人公に、彼とドイツ側の狙撃者ケーニッヒ少佐との対決を縦糸に、ザイツェフを英雄に仕立てた赤軍側の政治将校ダニーロフと美しい女性レジスタンス兵ターニャらとの人間関係を横糸に描き、映画として面白くかつ深みのある作品に仕上がっている。もう一つの転換点の戦闘、ノルマンディー上陸作戦を描いた最近の作品「 プライベート・ライアン」をしのぐと思う。
  • イースト/ウェスト 遙かなる祖国
1998 フランス映画/フランス・ロシア・スペイン・ブルガリア合作/2時間1
監督 レジス・ヴァルニエ(Regis Wargnier1948年生まれ) 出演 サンドリーヌ・ボネール(マリー)(Sandrine Bonnaire as Marie)、オレグ・メンシコフ(アレクセイ)(Oleg Menshkov as Aleksei)、カトリーヌ・ドヌーヴ(カブリエル)(Catherine Deneuve as Gabrielle)、セルゲイ・ボドロフ(子)(サーシャ)(Sergei Bodrov Jr. as Sasha
第二次大戦直後、スターリン下のソ連政府は、特赦があるというふれ込みで亡命者を帰国させ、その多くを強制収容所に直接送り込んで、大戦で損失した労働力不足を補おうとした。その奸計にかかってしまったロシア人医師とそのフランス人妻の物語。冷戦初期のスターリン政権下のソ連社会の緊張をよく描いている。いまやロシアを代表するトップ・スターのメンシコフが主演。妻マリーの亡命を助けるフランス大女優の役をカトリーヌ・ドヌーヴが演じているが、すごい存在感を感じさせる演技。重厚な仕上がり。
1993年/アメリカ映画/1時間23分
テルミン(
Termen/Theremin)というのは、1920年にロシアの技術者レフ・テルミン[ロシア語ではLevCergeevichTermenレフ・セルゲーヴィチ・テルメーン、1896-1993]が発明した世界最初の電子楽器。
 このテルミン(楽器と発明者)をめぐるドキュメンタリー風の映画が公開されている。1994年にサンダンス・フィルム・フェスティバルという映画祭でベスト・ドキュメンタリー賞をとったそうだが、よくできた映画。
 レフ(あるいはレオン)・テルミンは、1927-38年には主としてニューヨークに居を定めて、自分が発明した電子楽器テルミンの普及活動に力をいれていた。しかし、1938年突然、ニューヨークから姿を消し、そのままゆくえしれずになった。
この映画は、1930年代のアメリカでのテルミンの活動の様子、当時の関係者へのインタヴュー、さらに最晩年の1991年にニューヨークを再訪したテルミン自身へのインタヴューなどで構成されている。また楽器としてのテルミンがホラー映画やSF映画の効果音によく使われ、また初期のロック・ミュージシャンにも一定の影響を与えたことを明らかにしている。
1940
年代には収容所に、1950年代・60年代にはKGBで盗聴などの研究をし、60年代後半にはモスクワ音楽院で電子楽器を教えていたそうだ。ただ、このときには偶然にモスクワ音楽院に来たアメリカの新聞記者に見つけられて、テルミンは生きていたと報じられて職を失ったとのこと。
ただ手持ちのロシアの小百科事典(1997年刊)では、テルミンはテルメーンとして出ていて、1966年からモスクワ大学物理学科音響物理学講座の研究員だったと書かれている。また1930年代末から50年代初めは粛清にあっていたとも。
立命館大学の山口歩氏がテルミンについて、レフ・テルミン(レオン・テルミンと呼んでいますが)について2頁ほどの紹介記事を書いる。
山口歩「レオン・テルミン─電子楽器の創始者」『Science&TechnologyJournal』(科学技術広報財団)(20018月)42-43頁。
おそらくは、この公開に会わせてだと思うが、レフ・テルミンゆかり演奏者によるテルミンのCDも発売されている。ひとつは、1930年代にテルミンに薫陶を受けたテルミン演奏家クララ・ロックモア(1911-98)の「アート・オブ・テルミン」、もう一つは、モスクワ音楽院で作曲を専攻した若手のテルミン演奏家リディア・カヴィナ(テルミンの従兄弟の孫)の「オリジナル・ワークス・フォ・テルミン」。Rambling Recordsから発売。いまなら日本でも販売している。
また日本にも、カヴィナにならった竹内正実(たけうち・まさみ、1967年生まれ)という若手の演奏家がいて、テルミンの普及活動をしているそうだ。彼の本もある。いま、NHKのラジオ講座応用編(2002年度後半)に生徒役で出演中。
竹内正実『テルミン〈エーテル音楽と20世紀ロシアを生きた男〉』岳陽舎
  • エイゼンシュテイン
2000 ドイツ・カナダ合作/1時間40/英語 監督 レニー・バートレツト 出演 エイゼンシュテイン役の主演はサイモン・マクバーニー
エイゼンシュテインの伝記映画。
エイゼンシュテイン(1898-1948)は、「戦艦ポチョムキン」で有名なソ連初期の映画監督・理論家で、その後の世界各国の映画製作に非常に大きな影響を与えた。
エイゼンシュテインの生涯を映画らしい省略と虚構を取り混ぜて描いていて、エイゼンシュテインとはこんな人物だったのではというようなことがよく伝わる、よくできた映画だと思います。モスクワ、サンクト・ペテルブルグ、キエフ、メキシコなどでロケしています。独特の雰囲気のあるメイエルホリドも、エイゼンシュテインの師として出てきます。 渋谷の宮益坂を登り切った青山学院の近くの小ホール「イメージ・フォーラム」(ちょうど二年前にできたとか)で上映していた(20028-9月)
  • ロード・トゥ・パーディション(Road to Perdition
2002/アメリカ映画/1時間59 監督 サム・メンデス(Sam Mendes1965年生まれ) 主演 トム・ハンクス(Tom Hanks1956年生まれ)他にポール・ニューマン(Paul Newman1925年生まれ)、ジュード・ロー(Jude Law1972年生まれ)
丁寧につくられているギャング映画。さすがにトム・ハンクスだけあって役作りはうまい。その息子役の子役もよい。ギャング映画というとよく出てくるイタリア・マフィアではなく、アイルランド・ギャング。1931年、恐慌のすぐあとの中西部のアイリッシュの多い町が最初の舞台。その町のボスに拾われて育てられ、いまやその右腕になったのはトム・ハンクス演じるマイケル・サリヴァンである。ボスをポール・ニューマンが演じる。ボスの実の息子がぼんくらで、軽率な二代目がちょっとしたもめ事で仲間を殺し、サリヴァンはその手伝いをせざるを得なくなる。それをサリヴァンの息子のマイケル・ジュニアが目撃してしまう。二代目がその失敗を隠そうとして、独断でサリヴァン一家を殺そうとする。妻と下の息子のピーターを殺されたサリヴァンは、マイケル・ジュニアを連れ、シカゴに逃れ、復讐をはかる。この復讐戦がテーマ。その意味では古典的なギャング映画だろう。組織がサリヴァンを消そうと差し向けた殺し屋を、『スターリングラード』で主役を務めたジュード・ロー(Jude Law)が演じている。殺しの職人のような役がはまっている。1930年代の風俗をよく再現して、画面も美しい。映画の定式に沿った古典的な作りだ。一見の価値あり。
邦題についてひとこと。ここ十年くらい、原題をカタカナ書きするだけの意味不明の題名が横行しているが、これもそのひとつ。Perditionというのは、劇中では親子が向かう町の名前とされているが、もともとは破滅とか地獄という意味がある。つまりは「奈落への道」という意味の題名だ。映画配給業者は、なにを考えてこんな手抜きを続けているのだろうか。
  • K-19
2002/アメリカ映画/2時間18 監督 キャスリン・ビグロー(Kathryn Bigelow1951年生まれ) 主演 ハリソン・フォード(Harrison Ford1942年生まれ)他にリーアム・ニーソン(Liam Neeson1952年生まれ、スピルバーグ監督の『シンドラーのリスト』に主演)
原題はK-19 the Widowmaker1960年代初頭に開発されたばかりの核弾頭搭載のソ連の原潜の物語。安全措置が十分でないまま、北極海でのミサイル発射実験に向かい、発射実験には成功したもののそのあと、一時冷却水系の破裂事故を起こす。緊急冷却装置がなかったので、乗組員たちが急ごしらえのパイプで炉心に蓄えてある蒸留水を注入。そのためにその決死隊は放射能被爆のために倒れていく。原潜の内部が非常にリアルに再現してあって見応えがある。手に汗握らせ見せる映画。アメリカ映画でこれだけソ連軍を好意的に描いているのも、冷戦後の今だからだろう。実話に基づくそうだ。監督が女性というのも面白い。
原作 ピーター・ハクソーゼン『K-19』秋山信雄監修・楠木成文訳、角川文庫
  • スパイ・ゾルゲ
2003/日本映画/3時間2 監督 篠田正浩(1931年生まれ) 主演 イアン・グレン(Iain Glen1961年スコットランド・エディンバラ生、リヒャルト・ゾルゲ)他に本木雅弘(1965年生まれ、尾崎秀実)、永澤俊矢(1961年生まれ、宮城与徳)、上川隆也(1965年生まれ、特高T)、椎名桔平(1964年生まれ、吉河光貞検事)、ウルリッヒ・ミューエ(Ulrich Muehe、オイゲン・オットー)、葉月里緒菜(1975年生まれ、三宅花子(ゾルゲ愛人))、小雪(1976年生まれ、山崎淑子(ヴェケリッチ妻))など
  • じつに丁寧なつくり。時代背景もよくわかり、昭和前半の景観をCGを駆使してよく再現している。近衛文麿(榎木孝明が演じよく雰囲気が出ていた)はもちろん、昭和天皇も出てくる。尾崎とゾルゲ逮捕の場面から始まってさかのぼり元に戻り、最後にその後を描くという構成もよい。2.26事件の参加将校の処刑場面と戦後のゾルゲの遺体の発掘場面が衝撃的。ただ最後のベルリンの壁崩壊と石井花子の晩年の映像は余分だと思う。魯迅の言葉にはじまり、レノンの歌Imagineで終わりたかったと監督は言っているそうだが、冒頭の魯迅の「希望は、歩く人が多くなればできる地上の道のようなもの」という言葉が論理的なのに対して、レノンの詩は反戦といっても情緒に流れて弱いので、エンディングは弱くなってしまったと思う。ゾルゲの内面はよく分かるが、対照的に尾崎の内面が今ひとつわからない。
今回の公開に合わせて、ゾルゲ関係の本が多く公刊された。
みすず書房編集部編『ゾルゲの見た日本』 みすず書房(2003-06-02出版)ISBN:4622070448、227p 19cm(B6)、¥2,600(税別)
リヒアルト・ゾルゲ『ゾルゲ事件 獄中手記』 岩波現代文庫、ISBN:4006030770、岩波書店(2003-05-16出版)、¥900(税別)
尾崎秀実『ゾルゲ事件上申書』 (岩波現代文庫 )岩波書店 2003/02 ¥900(税別)
石井花子『人間ゾルゲ (角川文庫 )、角川書店 2003/04、¥667(税別)
ロバ−ト・ワイマント『ゾルゲ引裂かれたスパイ』 西木正明訳、(新潮文庫 )上・下、新潮社 2003/05、各¥667(税別)
F.W.ディ−キン/G.R.スト−リ『ゾルゲ追跡』 (岩波現代文庫 )上・下、岩波書店 2003/01、各¥1,000(税別)
白井久也『国際スパイ・ゾルゲの世界戦争と革命』社会評論社 2003/02 、¥4,300(税別)
  • 「コペンハーゲン」
マイケル・フレイン作 by Michael Frayn  〜ロンドン発、ブロードウェイ経由の知的冒険作〜 翻訳:平川大作  演出:鵜山 仁/ 出演:江守 徹・新井 純・今井朋彦 
新国立劇場 (ホームページ:http://www.nntt.jac.go.jp 公演期間:20011029日(月)〜1118日(日) 料  金:A:5,250円 B:3,150円(税込)
[内容]理論物理学者のユダヤ系デンマーク人のN.ボーアとその弟子でドイツ人のW.ハイゼンベルク、そしてボーアの妻。この三人が、死後の世界から、ナチス占領下の第二次大戦中のコペンハーゲンで「原爆製造」という大きな問題を抱えて再会した1941年の謎の一日を振り返る。
1998年にロンドン、2000年にはブロードウェイで大ヒット、イブニング・スタンダード賞ベストプレイ賞、トニー賞ベストプレイ賞などを受賞し、ロングラン公演中も売り切れが続いた話題作。
俳優(ボーア江守徹、ボーアの妻マルグリーテ新井純、ハイゼンベルグ今井朋彦)も良かったし、マイケル・フレインの劇もよくできていると思いました。 黒沢の羅生門風に同じ事件(つまり1941年のナチス・ドイツ占領下のデンマークの首都コペンハーゲンへのハイゼンベルグによるボア訪問)の何通りもの解釈を、すでにこの世にはない3人で繰り返し演じ直してみるというストーリーで、ハイゼンベルグに好意的な解釈で幕切れとなります。 歴史家としては、その解釈をめぐっていろいろな議論ができるでしょう。1943年のボアのデンマーク脱出や8000人のユダヤ人亡命にハイゼンベルクが間接的に関わっていたというこの劇の説明は本当でしょうか。それがハイゼンベルクに近しいデンマークのドイツ大使館の人の手引きだと劇ではされていました。また、第一次大戦直後のミュンヘンでの混乱のなかで、十代のハイゼンベルクが監視をさせられ処刑されるはずの政治犯が彼の説得で解放されたということも本当でしょうか。
それはともかく、事件についてのフレインによるハイゼンベルクへの好意的解釈によって、劇全体の構成は腑におちる締まったものになったことは確かです。劇に織り込まれた量子力学形成期の興奮やコペンハーゲン解釈の日常語による説明、原爆開発計画でウラン235の臨界量を拡散方程式を使って計算して数百グラム(本当の臨界量は約50キログラム)と出したフリッシュとパイエルスの仕事が決定的だったことなど、物理学を題材とした劇としてもよくできています。
フレインの台本には、ずいぶんと長いあとがき(postscript)がついていて、彼がこの劇をつくるにあたって調べた、題材とした事件をめぐる当事者たちの意見の対立やそれにたいするジャーナリストや歴史家による解釈が紹介、検討されています。ハイゼンベルクに対する好意的な解釈は、日本語の翻訳もあるThomas PowersHeisenberg's War(邦訳『なぜ、ナチスは原爆製造に失敗したか』(福武文庫)ベネッセコーポレーション、1995年)に多くよっているようです。
ただ、不思議なのは、フレインが、少なくともこのあとがきで、この問題についてのもっとも重要な研究者であるMark Walkerにまったく触れていないことです。
Walkerは、その主著German National Socialism and the quest for nuclear power 1939-1949, 1989 (paperback ed. 1993)7章でこのハイゼンベルクの1941年のコペンハーゲン訪問を検討しています。Walkerは、この事件についてドイツ反対派でも弁明派でもない歴史家として解釈する必要があるとして、ハイゼンベルクがこの時点でなぜコペンハーゲンを訪問したか当時の歴史的文脈に即して検討する必要があるとします。まず第一に、19419月にはヨーロッパはほぼナチス・ドイツの支配下にあり、6月に独ソ戦が始まったとはいえ、ドイツ軍はモスクワもレニングラードも陥落させる勢いで、ハイゼンベルクを含めドイツの多くの人々には戦争は間もなくドイツの勝利で終結するだろうと思われていたことです。こうした状況下にハイゼンベルクがコペンハーゲンを訪れたのは、ドイツ文化研究所というドイツの出先機関が開催した宇宙物理学の会議に出席して講演するためで、ボア訪問はその機会を利用したものでそれが主たる目的ではなかったとWalkerはいいます。ハイゼンベルクはべつにナチスのプロパガンダに積極的に加担したわけではありませんが、「大ドイツ」の各地をコペンハーゲンと同様の文化事業のために訪れており、彼がドイツの文化帝国主義的な政策に協力し支持したことは確かです。そうした彼の会議出席のためのコペンハーゲン訪問が、デンマーク側から見るとどのように捉えられるかを「非政治的な科学者」であるハイゼンベルクは、まったく理解しなかった、したがってハイゼンベルグの何気ない質問に対するボアの「過剰反応」も理解できなかったというのが、Walkerの解釈です。
「コペンハーゲン」には、この上演にあわせて邦訳が出版されました。
マイケル・フレイン『コペンハーゲン』小田島恒志訳、劇書房、200179日、ISBN:4875745974205頁、¥1,905(税別)[原著]Copenhagen, by Michael Frayn Paperback - 144 pages (August 8, 2000) Anchor Books; ISBN: 0385720793 Price: $12.00 ただ、舞台で上演されたものの翻訳者は、平川大作という人で、本の方の翻訳者と別の劇の共訳もある親しい演劇翻訳者だそうです。 舞台台本の方へのほんの小さな不満は、同位体の方はウラン235、ウラン238といいながら、元素名をウラニウムとしたことです。小田島訳では「ウラン」で統一されています。urainiumの正式の日本語の化学名はウランです。しばしば間違われる「ウラニウム」は使って欲しくなかったと思いました。これは化学史家の「過剰反応」かもしれませんが。
  • 「酸素」
     化学史を主題にした戯曲が出版されています。
Carl Djerassi and Roald Hoffmann, Oxygen: A play in 2 acts, Weinheim-New York-Chichester-Brisbane-Singapore-Toronto: Wiley-VCH Verlag GmbH, 2001, ISBN 3-527-30413-4.  昨年、日本でも、ボアとハイゼンベルグを主題にした翻訳劇「コペンハーゲン」が上演されて評判となりました。ナチ占領下のデンマークでの二人の出会いと別れの理由について、死者となったハイゼンベルクとボア夫妻が再検討するという設定で、量子力学の黎明と核開発にも話が及ぶというなかなか重厚な劇でした。  物理学史が主題だった「コペンハーゲン」に対して、化学史を主題とする劇「酸素」が出版・上演されました。経口避妊ステロイド(「ピル」)を初めて合成した第一級の有機化学者であるとともに、小説家としても知られるカール・ジェラッシ(その小説の多くがすでに日本語に翻訳されています1)と、福井謙一とともにノーベル化学賞を受賞した世界的な理論化学者で、最近は詩集やエッセイ集、ノンフィクションを出版してその文芸的な仕事でも知られるロアルド・ホフマンの共作です。舞台は、1777年のストックホルムで始まります。ラヴォワジエ、シェーレ、プリーストリーがその夫人とともに、ときのスウェーデン王グスタフ三世の宮廷に招かれます。国王隣席の下に「誰が酸素を発見したか」の論争に決着をつけようというのです。この設定はまったくフィクションなのですが、劇はストックホルムに集まった3人の夫人たちのサウナのなかでの会話の場面で始まります。このシーンからすでに目立つラヴォワジエ夫人は、劇でかなり重要な役割を果たします。
 このあと、場面は一転して2001年に移ります。ノーベル賞100周年を記念する事業として、ノーベル賞成立以前の科学者に「Retro-Nobel」賞を与えることになり、スウェーデン王立科学アカデミーの化学委員会が、その第一回化学賞受賞者を誰にすべきかの協議するという設定になっています。委員会に出席するのは、4人の一流のスウェーデンの化学者たち。女性の理論化学者が議長となり、記録役というふれ込みで科学史でPh.D.をとったばかりの女性が加わります。彼女が科学史家であることは当初議長以外は知らず、劇が進むにつれて彼女が重要な役割を果たすようになります。
 委員会は、近代化学の始まりまで溯り、その契機となった酸素の発見者に対して与えようというところまでは、比較的簡単に合意します。しかし、それを誰にするかについての合意は得られません。候補としてラヴォワジエ(1743-94)、シェーレ(1742-86)、プリーストリー(1733-1804)の3人が上がります。酸素を単離して最初にそれについて「脱フロギストン化空気」としての記述したイギリスのプリーストリーか、発表は遅れたものの時期的にはプリーストリー以前に「火の空気」として単離していたスウェーデンのシェーレか、発見された新気体を「酸素」と呼んで、シェーレやプリーストリーらがもっていた古い燃焼概念(燃焼は「フロギストン」という火のモトの放出だと考える)を根本的に変革して「化学革命」を引き起こしたと言われるラヴォワジエか。
 劇は、2001年のノーベル賞委員会と1777年のストックホルムの3組のカップルの間を往復しながら、クライマックスを迎えていきます。先取権や発見、科学者の研究の動機、科学と女性などのテーマを巡りながら進行し、1777年と2001年の登場人物たちの微妙な人間関係も次第に明らかにされていきます。劇では一組の俳優たちが、2001年と1777年の人物の両方を演じることになっています。科学史的あるいは科学論的なテーマについて考えさせるだけでなく、演劇的なさまざまな仕掛けもあって、劇として十分に楽しめる内容になっています。劇のラストシーンはどうするか難しいところで、著者の一人のホフマンによれば、結末は9つのバリエーションがあったそうです。
 著者のジェラッシは、この戯曲が上演されるだけでなく読むのに適しているいっており、事実Wiley-VCH社は、ロンドンの上演前にすでにこの本を出版しています。まだ日本語訳はないわけですが、戯曲の英語はきわめて平明です。また、劇で使うスライドや図版も入れてあって、本だけでも楽しめます。
 劇は昨年以来、アメリカ(アメリカ化学会の年会にあわせて、年会の開かれたサン・ディアゴで20014月に初演)とイギリス(ロンドン、Royal Institution)で演じられ、ドイツ語にも翻訳されてドイツでも上演されたようです。ロンドン公演の際には、Royal Institutionが、本書を1000部を買い上げて、中等学校に配布し、また学校の課外授業にも当てることができるように、上演ではマチネー(昼間の興行)を多くしたとのことです。
注[1ジェラッシの本の邦訳カール・ジェラッシ『ノーベル賞への後ろめたい道』中森道夫訳、ISBN:4061542583、講談社、2001年、\1,800(税別) ▼カール・ジェラッシ『あの世のマルクス』中西亮爾訳、ISBN:4061542613、講談社、2001年、\1,900(税別) ▼カール・ジェラッシ『男たちの薬』マクファ-ソン苗美訳、ISBN:4061542605、講談社、2001年、\2,100(税別) ▼カール・ジェラッシ『ブルバキ・クロ-ン作戦』中西亮爾訳、ISBN:4061542591、講談社、2001年、\1,900(税別)