戦争の博物館 - 2001年1月15日


デイトンで一番、いやオハイオで一番面白い観光スポットのひとつによく挙げられるのがアメリカ空軍博物館(U.S. Air Force Museum)です。この博物館はライト州立大学(Wright State University)のすぐ隣のライト=パターソン空軍基地(Wright-Patterson Air Force Base)にあって、実に多くの人が「是非一回行った方が良いよ」と勧めてくれていたのですが、なぜかこれまで一回も行ったことがありませんでした。そしてようやく先週末、よく晴れた日曜日、この世界最古かつ最大の空軍博物館に足を運んだのでした。

博物館は2棟の大きな格納庫を中心に巨大スクリーンの映画館アイマックス(IMAX)シアター、売店などの施設から成り立っています。また建物の外、駐車場のすぐ横にもたくさんの飛行機やミサイルが展示されていて、歩きながら見て回れるようになっています。この博物館には人類が初めて飛行に成功した時代の飛行機から最近のジェット戦闘機まで、とても小さなミサイルから翼幅が70mもある巨大なB-36Jまで、300以上の飛行機やミサイルが展示されているそうです。私はまず屋外の展示から見始めましたが、最新のジェット戦闘機や旧ソ連のミグ(MiG)戦闘機まで惜しげもなく並べてあることに驚きました。たくさんの飛行機の間を歩いたり、ジェット戦闘機のコクピットに登りながら、こういう自分たちの活動を広く知らせる活動は軍だけでなくどんな公共の組織にも大切でかつ有益なことなんだな、などと私はいたく感銘を受けていました。-- 少なくとも格納庫へ入るまでは。

格納庫は大きく3つの展示に分かれます。ひとつは航空機の誕生と初期、もうひとつは現代の戦闘機、そしてその2つの時代の間 -- 第2次世界大戦からベトナム時代にかけての戦闘機の歴史です。そして私は3つめの戦闘機の歴史の展示を最初に見て回りました。これは1940年代から1970年代にかけての戦闘機の発達の歴史の展示であると同時に、アメリカ空軍が参戦した戦争の歴史の展示でもあります。展示はそれぞれの時代の戦争がどのように進展しどのように終結したかを、写真、地図、映像、そして大量の文書 -- 例えばアメリカや日本の当時の新聞など -- を用いながら説明していました。印象的だった展示品のひとつは、巣鴨プリズンから持ち帰ったという東条英機の自署がある日の丸旗でした。展示されている戦闘機の側には当時のアメリカを初め日本、南北朝鮮そして中国などの各国の軍隊の制服も展示されていましたし、B-25の側では米軍から見た東京空襲 -- どんなトラブルが起き、それをどのように解決したか -- についてのビデオ映画が放映されていました。

そして、その格納庫の最も奥まったところに、その日私に一番強烈な印象を与え、そして暗い気分にさせたそれは置いてありました。B-29 "ボックスカー" です。その飛行機は名前の下に「第2次世界大戦を終わらせた航空機」と大きく書かれていました。そしてその機体の背後には、原子爆弾 "リトル・ボーイ" と "ファット・マン" の実物大の(おそらく)模型が展示されていました。以前私は広島平和記念資料館を見学し、また国連本部のロビーで行われていた小さな原爆の跡の展示も見たことがあります。しかしそれらとは全く異なる原爆の世界(あるいは視点)がその一角にはありました。私はほとんど泣き出しそうな気持ちになりました。いいでしょう。それが「立場」の違いであるということは理解します。でも、なぜ私が "ファット・マン" と "リトル・ボーイ" の前でしばらく身動きが出来なかったか、その理由も理解して欲しい!

それにしても奇妙に感じたのは、今まで私は戦争に関する情報であれ展示であれ文書であれ、これだけの量を一度に見たのは初めてだということです。たった1日で、それまで30年以上かけて見聞きした量とほとんど同じだけの量の情報を見たように感じました。私は似たような感覚を、以前シンガポールへ行ってかつて日本軍が捕虜収容所に使っていた建物(今は博物館)を見学した時にも感じました。この類の、日本と戦争に関する情報は、日本ではほとんど見ないのに外国に行くと沢山あるというのはある意味奇妙なことです。もちろん、日本の年輩の世代の人々が戦時中の事を思い出したくない、忘れたいと望んでいることは解かっています。でも若い世代はどうでしょう。若い世代は事実を知らない、それでいいんでしょうか。

他の国の人と平和、あるいは戦争といったことについて話をするのは何も日本政府だけではありません。 私達個人個人も、他の国の人と話をしていれば、太平洋戦争を含めて戦争や平和についての「自分の意見」を聞かれる可能性があります。

戦争は微妙でかつ難しい話です。日本人が忘れたいと思ったとしても、他の国の人には日本人に聞きたいこと、言いたいことがあります。十分な情報を持っていなければ、私達は何も言うことができない、あるいは間違った情報に基づいて不適切な発言をしてしまうかもしれません。国民の間で十分な情報が共有されていないような状況で、この国は安全保障理事会でいったい何を言うというのでしょうか。

戦争の博物館が本当に必要なのは実は日本なのかも知れません。

"戦闘機の歴史" 格納庫"ボックスカー""リトル・ボーイ" と "ファット・マン"


注: 以前私は上記のエッセイの中で、 日本の新聞社のインターネットサイトで読んだ、 日本人の少女のアメリカでの体験に関するエピソードを紹介していました。 ところが、あるアメリカ人から、アメリカ人の中にはそのことを 真珠湾攻撃を肯定しているかのように誤解する人が居かねないとのコメントを頂きました。 これは私の主な論点である「歴史についての知識と情報が相互理解にとって重要」という 意見と全く異なるものであり、そのような誤解を生むことは私の意図することではありません。 よって、私のエッセイから該当する部分を削除しました。 (2001年7月16日 梅室博行)


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Hiroyuki Umemuro
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