ストロベリー・フィールズ・フォーエバー - 2000年12月10日


12月8日の夜、私はニューヨークのセントラルパークにいました。その夜はジョン・レノン (John Lennon) が死んでからちょうど20年目の夜でした。

セントラルパークの一角に「ストロベリー・フィールズ」(Strawberry Fields) と呼ばれる一画があります。ジョン・レノンとオノ・ヨーコの家から通りを渡ってすぐの場所で、彼の死後、彼の歌「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」("Strawberry Fields Forever") にちなんで名付けられた場所です。彼が1980年に自宅前で亡くなってから、毎年12月8日の夜には何百人のファンが彼を偲んでこの地域に集まり、ろうそくを灯して彼の歌を歌います。この集会に、20周年の今年参加することは、私にとってこの米国滞在中に是非やりたいことのひとつでした。

私が到着したときには、セントラルパークのこの小さい区画は、既に人で埋まっていました。人々はその場所の地面に埋め込まれた「イマジン・サークル」(彼の歌「イマジン」を記念してイタリアから寄贈されたそうです)を中心にして、2, 3のグループになってビートルズの歌やジョンの歌を歌っていました。ろうそくに火を灯している人もいました。そして時間が遅くなるにつれて集まってくる人の数は増え、この"集会"は、来ていたテレビ中継車が照明灯を消し、上空を飛び回っていたヘリコプターがその場を去った後もまだ続いていました。

正直なところ、私はちょっとだけがっかりしていました。そこに集まっていた人のかなりの人数は「何をやっているんだかちょっとのぞきによってみた」類の人々やビール片手に「愉しみたいだけ」の人々で、少なくとも雰囲気は感傷的な追悼集会からは程遠いものでした。私がここに来たいと強く思った理由のひとつは、映画「イマジン」の中で、大勢の人がろうそくを持ってセントラルパークに座り込み、泣きながら、ジョンの「愛こそすべて」をうたっているシーンに強く心を打たれたからでした(実際この映画のシーンは1980年の彼の死の数日後に行われた追悼集会のものだったようですが)。そういうわけで、20年も経った今ではもうそうやって彼を偲ぶような機会は望めないのかな、と。そしてもう一つは、どうやらそこに集まっている「ジョンのファン」と思われる人々は、ビートルズの曲の中で実はジョンの歌もポールの歌もジョージの歌も区別がついていないようで、みんなで一生懸命ポールやジョージの歌を歌っているのにちょっと興ざめしたので。

しかしそれでもなお、一方で、こうして何百人もの人が、20年前に死んだ人のために、手に花束やろうそくや写真やメッセージを綴ったカードを持って集まって来ているのも歴然とした事実です。私がその夜話をした人の何人かは米国の各地から、何人かはカナダから、そして日本からこれを目的にニューヨークまで来た人もいました。 彼らはジョンの音楽が好きで、そしてジョンの考えを受け継いでいました。その場に供えられたメッセージの多くには「愛」("love") や「平和」("peace") の言葉が含まれていました。ろうそくを、炎が「平和」のシンボルの形になるように灯している人もいました。そして、その夜の「沈黙の瞬間」と呼ばれた10時39分、一斉に歌や話を止め、祈りの沈黙の間人々が手を高く上げ、示していたサインも「ピース」でした。

次の日の朝、私は再びストロベリー・フィールズに足を向けました。一度きれいに掃除されたイマジン・サークルには新しい花束が供えられ、またベンチでは若い男がひとり、ギターを弾きながらジョンの歌を歌っていました。その場を歩きながら私は考えていました。これから先将来もまた年ごとに、同じようにここに人々が集まるでしょう。そしてこの「集会」は、年と共にその形を少しずつ変えて行くでしょう。でもたったひとつのことだけ、変わらないでいてくれたら、と。たったひとつ、またここに集まった人々が皆一緒に、ジョンが歌った言葉「平和」(peace) を共に口にできたら、と。

ジョンの歌を歌う人の群れプレートには「イマジン」からの引用: "Imagine all the people living life in peace"ストロベリー・フィールズにある"イマジン・サークル"


「デイトン日記」の目次に戻る


Hiroyuki Umemuro
Copyright 2000 Hiroyuki Umemuro all rights reserved.