ペイジ博士が教えてくれたこと - 2000年12月24日


先週の土曜日、ライト州立大学心理学科の教官の一人であるペイジ博士が亡くなられました。そして今週の水曜日に、大学構内の大きな部屋で、博士の追悼のための礼拝が行われ、私も出席させていただきました。

実は私は博士に生前会ったことは一度もありませんでした。私が3月にデイトンにやってきたときには博士は既に入院生活をしてらっしゃいました。そして学科の事務室からは、時折博士の近況のお知らせとともに、 博士が病室でお客さんに会うのを楽しみにしている、とアナウンスがあったのですが、私は病室のベッドで見も知らぬ人の訪問を受けるのはきっと博士も好まないだろうと思い、結局亡くなるまでお会いすることがありませんでした。私が博士について知っているのは、学科の廊下の壁に貼ってある教官全員の写真の中にある博士のお顔だけでした。

礼拝は実に印象深いものでした。ペイジ博士は、ご家族に、自分が亡くなったときの礼拝は自分の人生を「祝福する」ものにしてほしいと伝えていたということですが、実際その通りのものになりました。一番初めに博士の思い出を皆に話したのは博士の息子の一人でしたが、彼はとても生き生きと、そして冗談を沢山交えて人々を笑わせながら、彼の父親の思い出話を語りました。そして続いて博士の思い出を語った人はほとんど博士との楽しかった思い出を、博士の暖かい人柄を、そして博士が学生や地域社会にいかに大きなものを残したかを次から次へと語っていました。礼拝はとても心暖まるもので、多くの人々が出席し、そして私は人々の話を通して触れたペイジ博士の人柄にとても感銘を受けました。

それと同時に、私は急に強い後悔の念が起こるのを感じました。博士にお会い出来なかった事への後悔です。実際私にはお会いしようと思えば会いに行ける機会が十分あったはずなのに、結局こんなに魅力的な人柄に触れることができませんでした。誰かに会う機会、何かをする機会、何か新しいことを発見する機会 -- そんな機会の数は限られています。また、そのような機会が得られる時間も限られています -- 私がアメリカの人々にお会いできるのはアメリカにいる間だけですし、人に会えるのはその人が生きている間だけです。ペイジ博士は、私に、考えすぎたり考えが足りなかったりして、そういった機会を無駄にするのは愚かなことだということを教えてくれました。

礼拝で配られていた小冊子を読んでいるうちに、私は、ペイジ博士の思い出のために心理学科の奨学金基金への寄付を誘う一文を見つけました。私はこの学科にそんな基金があることを今の今まで知りませんでした。そこで私はこの機会に、この基金に少しばかりの寄付をすることにしました。私には、この機会はペイジ博士が与えてくれたもののように思えました。そして、私はこの機会を無駄にしたく無かったのです。

季節はクリスマスです。


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Hiroyuki Umemuro
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