第1回:インスティテューショナル技術経営学に対する注文
「結局、インスティテューショナル技術経営学って何なんですか」。
技術経営戦略誌「日経ビズテック」の編集会議でのことだ。東京工業大学の21世紀COEプログラム「インスティテューショナル技術経営学」について定期的にコラムを書く仕事を引き受けたことを報告すると、同僚の女性記者から冒頭のような素朴な質問が投げかけられた。
彼女がこのプログラム名を耳にしたのは初めてではないのだという。彼女は同大学のプログラムの発表会に出席して、内容についての説明を聞いていた。しかし、どのような内容のものなのか、さっぱり分からなかったという。
名誉のために断っておくが、彼女の理解力は極めて高い。分からなかったのは、どうも彼女のせいではなさそうだ。かくいう私も、プログラムのパンフレットやホームページの説明を繰り返し読んだ。しかし、プログラムの内容や目標は理解できなかった。
市場の独自性の影響を解明する
こうしたことがあったものだから、プログラムのリーダーを務める渡辺千仭(ちひろ)教授にお会いしたときにも、同僚と全く同じ質問を最初にぶつけてみた。渡辺教授だけでなく、サブリーダーの圓川隆夫教授や妹尾大助教授にも同じ質問をした。こうして集めた答えを重ね合わせてみて、ようやくインスティテューショナル経営学なるものの輪郭をつかむことができた。
その理解を基に私が同僚記者に返答した内容は次のようなものである。
インスティテューションというのは、一般的な訳語である「制度」ではなく、国や地域における文化や慣習、倫理観、価値観などを指す。
そしてイノベーションは、市場となる国や地域の文化や慣習などと密接な関係がある。
例えば日本では、「iモード」などのインターネット接続サービスや「着うた」といった音楽配信サービスが付いている携帯電話機が売れている。しかし、こうした機能を備えた携帯電話機をそのまま米国に持ち込んでも、同じようにヒットするとは限らない。米国では、ノート型などのパソコンを持ち歩く人が多いからだ。
パソコンが常時手元にあるので、携帯電話機を通してインターネットに接続したり、音楽をダウンロードしたりしようとは考えない。米アップルコンピュータの「iPod」が売れているのも、パソコンを携帯するという米国人の慣習によるところが大きい。
このように、市場の文化や慣習を勘案してビジネスを作り上げないと成功はおぼつかない。国や地域ごとに異なる文化や慣習といった市場の独自性とビジネスの成否の関係を解明しようとするのが、インスティテューショナル技術経営学の目指すところである──。
この説明を聞いた同僚記者は言った。「最初からそう説明してくれればよく分かったのに」。
平易な言葉で語るべき
技術経営に関わる情報を発信している立場から常々感じていることだが、技術経営あるいはマネジメント・オブ・テクノロジー(MOT)は、極めて実用的な学問であり、その成果を求めているのはビジネス・パーソンに限られる。つまり、実際にビジネスを手掛けている人たちや企業にとって役立つ内容でなければ意味がない。
MOTの研究者に求められるのは極言すれば、ビジネス・パーソンがあまり顔を出さない学会で論文を発表することではなく、実用的な理論を駆使して企業にコンサルティングを行うことである。実際、米カリフォルニア大学バークレー校でMOTを教えている教授の中には、論文を一切書かずに企業のコンサルティングに飛び回っている人が少なくない。
企業に役立ててもらうためには、研究成果の内容もさることながら、それを分かりやすく伝えて理解してもらうことが欠かせない。難解な専門用語はなるべく使わずに平易な言葉で語ることが必要だ。
インスティテューショナル技術経営学というネーミング、パンフレットやホームページの説明を見る限り、こうした意識は伝わってこない。もし、明確な意識を持っておられるのであれば、それが伝わらないのは残念なことだ。
具体例で説得力を持たせる
さらに説得力を持たせるために、数多くの具体例を集めて例示することも大切だ。
同僚記者の質問に対する返答において私が着うたやiPodの実例を挙げることができたのは、2月9日に発売した日経ビズテック第5号の特集「技術覇権の構造」で音楽ネット配信をめぐる覇権の行方を探った記事を掲載したからである。
とりわけ国内メーカーの多くは厳しい国際競争にさらされている。海外市場における国内外の企業の成功例と失敗例の両方を広く集めて、国内メーカーがそれらの市場を攻略する糸口を提供していただきたい。
このCOEプログラムが2月28日と3月1日の2日間にわたって開催する国際シンポジウム「イノベーションとインスティテューションとの共進化ダイナミズムの解明」では、難解なタイトルであるにもかかわらず、幸いなことに企業からの参加者が大勢を占めているという。
このシンポジウムは、企業からの参加者に対して「あなた方にとって役立つ研究です」とアピールする絶好のチャンスである。ぜひとも多くの事例を交えた平易な講演内容になることを期待したい。企業やビジネス・パーソンが興味を示すことが「技術経営」の存在理由でもあるわけだから。
(中野目 純一=日経ビズテック記者)
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